百聞は一見にしかず
「何度も聞くより,一度実際に自分の目で見る方がまさる」(広辞苑)
諺ってのは本当に物事の本質をついていて、これも正にその通りだと思う。ただ、ネット社会の今は、一見が簡単に出来てしまうために、百聞は一経験にしかずが現代向きではあると思う。つまり、何が言いたいかは元々の諺の意味と一緒で、何事も自分で経験して見ないと、物事の本質はつかめないぞってこと。
で、本題。
今こうやってアメリカに居る事で、アメリカの分からなかったことや知らなかったこと、人間性や文化、また、単純に使ったことの無い単語や言い回しなどに触れることができる。特にネットなんかで調べて机上の空論チックに理解してたことでさえ、あれ〜?あれ〜?と当然かの如く理解してたのにも関わらず、微風に覆された笹舟のように愕然とする。
ここまでが諺の指すところ。
この、他の文化に身を委ねる事自体がもの凄い事で、あまり分かっていなかった日本の事でさえ見えてきたりする。それは良い事であったり悪い事であったりもする。またもっと知りたいと思ったりするのも本音。
鎖国という言葉があるけども、あれは国が外国からの情報を遮断することでは無く、自分自身が外界からの情報を遮断していることなのだろう。自分の慣れ親しんだ場を移す事で、見えなかった世界が見えてくる。これはごく普遍的な事で、異質な空間に身を置く事が、平凡な世界をデフォルメして際立たせてくれてるのだろう。
オリンピックで印象的だった日本のバレーと野球の試合。恒日頃から優しく育てられた温室野菜のような対外試合を日本でやっている。期待の金とあるけども、まずは環境の変化ではないだろうか?何を持ってして強化と上層部は謳うのだろう?
別にメダルを取れなかったことを批判してるのではなくて、もの凄く普遍的な事があって、それがいろんな事に当てはまってるなと常々思う。
続く。